◎本泉寺(ほんせんじ)
〔金沢市二俣町/真宗大谷派〕
  越中瑞泉寺如乗(本願寺第6世巧如上人の子、蓮如上人の叔父)が創立。如乗は蓮如上人の次子蓮乗を寺に迎えて養子とし、ついで蓮乗の弟・蓮悟(蓮如上人の七男)が第3代となった。波佐谷松岡寺・山田光教寺と共に加州三ヶ寺と称して権勢があった。
 蓮如上人も滞留して作庭の跡を残したといい、境内に廟所がある。蓮悟の後嗣に弟実悟が迎えられたが、蓮悟の子実教が生まれたので、実悟は加賀清沢坊(願得寺)に移った。蓮悟は若松本泉寺を開いたが、享禄4年大一揆に寺を襲われた。

 

 二俣は金沢の東部、医王山の美しい容姿にいだかれた山峡の集落である。  ここは、富山県の県境に近く、尾山から二俣を経て砺波の里にぬける道が、加賀・越中を結ぶ最短通路であったことから、この辺の処々に蓮如上人布教の足跡が見られる。

  本泉寺前住職・松扉尭(しょうひたかし)師より、ご案内を受ける。師は83歳。師の記憶によれば、山口からの参詣はかつて経験したことがないそうである。
  私たちは、山口からの初めての参拝者と言うことになる。 師は温厚篤実な方で、時折、ユーモアを交えて話される如乗法印・蓮如上人のはなしに一同、寒さも忘れて聞き入った。

 


  右はごく最近、境内の古木を彫って作った蓮如上人像。肖像画に見る蓮如上人のお姿を忠実に再現している。蓮如上人は本願寺の第8世宗主で、浄土真宗が現在のような日本有数の教団に発展したのは、ひとえにこの上人のお陰である。
  生涯、5人の御内室(これは結果であって、次々と先立たれる悲哀を4度も体験された。)と13男14女の子持ちであったことをご住職が話されると、堂内にどよめきが起こった。 

 このお寺は、「蓮如上人鏡の御影」「蓮如上人御頂骨」「母堂三種の形見」「御着衣、袈裟、念珠」「八万の法蔵御文」「つぶら児の名号」等々多数の宝物を所蔵しており、年一度の蓮如忌(4月23日〜 27日)には一般公開もされるが、 この度は、その中の数点を見せていただき、詳しいご説明もしていただいた。
  老師は「高齢であり、もう再び、今生であなたたちとお出会いすることはあるまいが、お浄土でまたお会いしましょう」と言ってお別れした。

 

蓮如上人が作庭されたと言われる「九山八海の庭」 

 

       Bへ続く

@へ戻る

Topへ