平成27年年頭挨拶

 

  新年明けましておめでとうございます。早朝よりようこそお参り下さいました。 
  旧年中は大変お世話になりました。どうぞ、本年もよろしくお願い申し上げます。
  昨年末、交通事故に遭いました。昨年最後の法事が、下松向西会館でありました。そこに向かって、サンリブ南の交差点を右折して、交差点を抜けかけたところへ、信号的に直進するはずのない車が、猛スピードで走って来て、車の後ろを当てられました。私の車は、弾みで向きを反転させられた上、横倒しになったので、周りにいた人たちに後ろのドアから、助け出されました。
 幸い、右腕を10針縫うくらいのケガで済みましたが、車はメチャメチャ、ぶつけた車は、そのまま逃走して、未だ見つからない状況です。【その後、犯人が見つかり、謝罪も受けました。】
  年の最後の最後まで、何が起こるか分かりません。
  そろそろ、来年の正月の掲示板の法語を、選ばなくてはならないなと思っていたとことに、このような事故が起こったものですから、迷わず選んだのが、今門前に掲示してある木村無相さんの言葉です。
   元旦や 今日のいのちに 遇う不思議
  もう少し早く交差点を抜けていれば、こんな事故には遭っていないでしょうし、もうちょっと遅ければ、真横を当てられ吹き飛ばされて、ケガでは済まなかったかも知れません。本当に、いのちがあったのが不思議なくらいです。
   元旦や 今日のいのちに 遇う不思議
  今、この言葉を実感として、深く味わっています。
  私ごとを続けて済みませんが、今年私は、66歳になります。もう前住(父)が亡くなった歳です。父が亡くなった時、父には既に11人の孫があり、住職継職も終えていました。今の私はまだまだほど遠い状況です。今日のいのちをいただいたと言うことは、もうちょっと、仕事が残っているぞという意味かも知れません。
  お互い、日々のいのちに感謝しつつ、今年も精一杯、ご恩報謝につとめさせていただきましょう。
  本当に、新年早々にようこそおまいり下さいました。最後に、皆様の今年一年のご健勝とご多幸を念じて、ご挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。

 

 

        
平成26年年頭挨拶

 

  新年明けましておめでとうございます。早朝よりようこそお参り下さいました。 
旧年中は大変お世話になりました。どうぞ、本年もよろしくお願い致します。

 昨年の報恩講法要にご出講いただいた福田康正先生より頂いた先生の法話集の中に、次のようなご法話がありました。
その内容を要約しますと、
私たちは、自分の口から出る言葉に、もっと気をつけた方が良い。一番近くで、それを聞いているのは、他人(ひと)では無く、何より自分だから。
他人(ひと)の悪口を言えば、その悪口を言う時の思い上がった心が、そのままその人の性分となり、不平や不満、愚痴ばかりを言っていると、その時のひがんだ、ひねくれた心がそのままその人の性分となる。
この話を聞きますと、どきっとします。私たちは、日頃、自分の喋る言葉にそれ程、注意を払いませんが、「口から出るその言葉によって、その人が形成されてゆく」のですね。
ナンマンダブ ナンマンダブと称えることの意味がそこにあります。ナンマンダブ ナンマンダブと仏のみ名を称える。それによって私たちは、仏さまのお育てをいただく のです。

 今年の正月の門前の掲示板には、
み仏を 呼ぶわが声は み仏の われを呼びます み声なりけり
という、甲斐和里子さんの歌を掲げました。

 ナンマンダブ ナンマンダブと今年も精一杯お念仏を申し、仏さまのお育てをいただきましょう。

浄蓮寺のホームページを見ている人が結構、多いようです。あるご門徒さんから、間接的にではありますが、ホームページに掲載されている私の写真を見て、「私はどんどん老けているのに、ご院さんの顔は、一向に変わらないのですね?((笑))」と言うご指摘を受けました。別に自分を良く見せようと思っている訳ではありませんが、ついついそのことを忘れていました。5年前の写真をそのままにしていました。自分では気づかずにいるのですが、どんどん時は流れているのですね。改めて「諸行無常」に気づかせていただきました。
〔とりあえず、昨年の写真に差し替えました。〕 
無常のいのちを生きる私たちです。でも、このはかないいのちの行き先は、永遠のいのちの「お浄土」です。今日からの一日一日は、お浄土への一歩一歩であると言い切れる悔いのない日日を、今年も送らせていただきましょう。

 本当に、新年早々にようこそおまいり下さいました。最後に、皆様の今年一年のご健勝とご多幸を念じて、ご挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。

 

 

 

 「娑婆世界」  〜堪忍してもらっています〜               

 あるおばあさんの話です。「あるとき、私は幼稚園の孫娘と話をしていました。すると、『ねえおぱあちやん、おばあちゃんはいつまで生きているの?』って、突然聞いてきたのです。私はそれでカッとなって、孫娘を一方的にしかりつけてしまいました。」
このお孫さんは、3人兄弟の末っ子で、お兄さんやお姉さんには勉強部屋や、勉強机があるのに、自分にはいまだにないので、晋段からお母さんに、そのことをねだっていたそうです。それに対して、このお母さんは、「家(うち)は狭いし、お金にゆとりもなからだめよ。でも、もうちょっと待っていてね。もうちょっと待っていたら、勉強部屋を用意してあげるから」と言ったとか?もちろん、そんなことをおばあさんの目の前では言いませんが、同じ屋根の下に暮らしていると、お互い察するものがあるのでしょう。ですから、このおばあさんも、うすうす感じていたところに、「いつまで生きているの?」と孫娘から言われたので、一方的にしかりつけたというのです。
このお孫さんは、おばあさんのあまりの剣幕に、びっくりして泣きじゃくりながら、「だっておぱあちやん、私の結婚式に出てほしいの。出てちょうだいね・・」と言ったそうです。おばあさんは呆然として、お孫さんを抱きしめながら「ごめんね、ごめんね」と謝ったそうです。

 私たちが棲むこの世界のことを仏教では「娑婆世界」と言います。「娑婆」(しゃば)はインドの古代語・サンスクリット語のsahaの音を漢字に写し取った言葉で、意味の上では「堪忍」「忍耐」と訳されています。この世は、生老病死(しょうろうびょうし)をはじめ、複雑な人間関係、さまざまな欲望など、煩悩に耐えていかなければならない世界であるという意味で「娑婆世界」という言葉が使われます。

 しかしながら「堪忍する」「辛抱する」というのはなかなか難しいことですね。むかしは、お年寄りたちから、「堪忍せい」「辛抱せい」とよく言われましたが、それに対して因幡、今の鳥取県の源左という念仏者は、「おらあは、人さんに堪忍して上げたことはないだけっど。おらの方が悪いで、人さんに堪忍してもらってばっかりおりますだがやあ。」と答えたそうです。なかなか「堪忍」「辛抱」は出来ない私たちです。本当は、他人に「堪忍」「辛抱」してもらってばかりいるのが実情ではないでしょうか?

 先のはなしの中でも、お嫁さん、お姑さん互いに「堪忍してもらっている」「辛抱してもらっている」と思えば、気持ちがちょっと楽になるのではないでしょうか?孫から「いつまでも長生きしてね。」と思われているおばあさん本当に幸せな方です。
                                                          2013/08/26

 





 平成25年年頭挨拶

新年明けましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。どうぞ、本年もよろしくお願い致します。
  新(あらた)しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)
                              大伴家持
新しい年の初め、この初春の、今日隆る雪のように、良い事がますます重なるように。
わが国最古の歌集「万葉集」の編者とされる大伴家持が、国守として因幡国(鳥取県東部)に赴任した折の元旦に詠んだ歌です。
当時、正月の大雪は、その年良い事があるしるし・吉兆(きっちょう)と考えられていました。
長歌、短歌、旋頭歌(せどうか)など合わせて4500首に及ぶ「万葉集」全20巻は、このめでたい豊年を祈る家持の、堂々たる歌で終わっています。この時、家持は42歳。以後、68歳で亡くなるまでの25年間、家持は一切歌を詠むことはありませんでした。
それにしても、なぜ家持は人生の佳境とも言うべき歳で、歌ずくりを止めてしまったのでしょう?
政治の実権が藤原氏に掌握されてゆく時代。旧氏族・名門の大伴家嫡流の家持の因幡国への赴任は明らかに左遷でありました。本当は、深い絶望の中で、正月を迎えたのです。しかしその歌は、絶望とは裏腹の、未来への希望と歓喜に満ち溢れた歌になったのです。恐らくは、絶望の底を突き抜け無私(無我)になったすがすがしさがあったのではないでしょうか?「万葉集」がこの歌をもって、閉じられていることは、ある意味、すっきりした喜びの余韻があって、後味の良いものです【こんなコメントをして良いものか分かりませんが】。我が人生もかくありたいと思うものです。

今年の正月の門前の掲示板には、
悲しさは みなとりすてて 嬉しさの 数のかぎりを かぞへてぞ見る
という、甲斐和里子の歌を掲げました。この歌も、その歌が詠われた背景を知ってみると何か前の大伴家持の歌に通じるものがあります。
  我々の人生には「悲しさ」という言葉に象徴される「情けなさ」や「悔しさ」がいっぱいあります。それは、またいつまでも、尾を引いて、我々の心に居座り続けます。しかしながら、いつまでもそれにこだわらず、とらわれず、パソコンで不要なファイルをごみ箱のなかに放り捨てるように、すっきりと消去して行きたいものです。そして、そのためには、「嬉しさ」つまり誰にも決して無いわけではない「喜び」「恵み」「誇り」を思い起こすことです。甲斐和里子のこの歌から私はそんなことを思います。
今年一年、この言葉を胸に、歩んで行けたらと思います。
最後に、皆様の今年一年のご健勝とご多幸を念じて、ご挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。

 



 平成24年年頭挨拶

 旧年中は大変お世話になりました。どうぞ、本年もよろしくお願い致します。
昨年は、本山の親鸞聖人750回大遠忌法要に、70名近い方々と参拝出来ましたこと、本当に嬉しく思います。幸いお葬式もなく、私も、坊守と共に、また本山では、若院と合流して、お参り出来ましたこと、本当に有難く存じます。本山の法要参拝が最後となりましたが親鸞聖人750回大遠忌法要に関わる一連の事業を、皆さまのお蔭で、無事、終了出来ましたことを、心より御礼申し上げます。
 さて、昨年は、私たちにとっては、充実した一年でありましたが、東日本大震災を始め、福島第一原発事故、近畿地方の豪雨災害、タイの大洪水と未曽有の大災害が合い続いだ悲惨な一年でした。この災害の復旧には途方もない長い年月が必要です、日本人全体の問題として、今後も取り組んで行きたいと思います。
扨、今月の門前の掲示板には、「は:半分に、ひ:人並みに、ふ:普通に、へ:平凡に、ほ:程ほどに」という言葉を掲げました。
 この言葉は、毎日新聞の「女の気持」というコラムに、載っていたものです。別に、浄土真宗の法語ではありませんが、何か、この言葉はさりげなく、私たちの欲望にブレーキをかけ、無駄な競争なんてしなくても良いんだよと、呼びかけてくれているような気がします。
 年末になりますと、各地の宮寺では、大掃除(すす払い)をします。昨年末も、テレビで、奈良・薬師寺のすす払いの映像を流していました。そこで、管長さんがコメントをされて、「私たちは、この仏さまに付いたほこりを払うだけではなく、我が身に付いた一年のすすを払って、新しい年を迎えるのです。」と言われました。さすが管長さんだ、良いことを言われると思いましたが、人間につきまとう煩悩が、すすを払うように、そう簡単に拭えるものか?浄土真宗の立場から、ちょっと待ってくれよと言いたくなりました。
 他人と比べてはならないのですが、どうしても人間は、他人と比較して、自分を得意に思ったり、逆に卑屈になったりします。この人に比べれば、私の方がまだ暮しぶりはましだ。この人の体力、頭には到底、及ばない。この人は、奇麗な人だが、フアッションセンスは今ひとつね。こいつは、おれと同じ歳だが、えらく老けてみえるな。等々。また、欲望にも、限りがありません。一日中、一年中、その欲望につき動かされて生活をしています。
 他人と比べなければ良いのですが、欲を起さなければ良いのですが、そうゆう訳には行きません。煩悩は、簡単に払うことが出来ないから煩悩と言うのです。そんな時、ちょっと、私たちにブレーキをかけてくれるのが、この「はひふへほ」の言葉です。特に、最後の、ほ:程ほどにというの一番、自然に心に響きます。私は、この一年は、シンプルに、この言葉をモットーにしようと思っています。みなさんにも、参考になればと思います。
 最後に、皆様の今年一年のご健勝とご多幸を念じます