法名との出会い1

 

 法名との出会い1

 吉清 芳子(釋寿芳

 下松市美里町4丁目―1113

 昨年11月25日、本願寺山口別院で、帰敬式を受け法名をいただきました。

 法名は生前にいただくものだとお聞きしてから、いつか私もと思っておりました。よい機会に恵まれましたことを心から喜んでおります。

 帰敬式でみ仏に帰依をいたします≠ニお誓いしましたものの、今までと何も変わらない暮らしをしていました。

先日の法座でご講師の方が「みなさん食事のことばはいつも唱えておられますよね」と問いかけられました。

 恥ずかしながら、私は食事のことば≠ネんて知りませんでした。その日初めて食事のことばを声に出して唱えてみました。

新鮮な響きでした。今日も食事のことばを唱え感謝して食事をしています。

 これからも聞法のご縁を重ねなければと思っています。

                                                     合掌

〔上記の「食前のことば」をここをクリックして、ダウンロードしてお使い下さい。A4サイズですが、ハガキサイズに縮小印刷すれば、吉清さんが製作された「絵手紙」そのものになります。〕

 

 法名との出会い2

 

  法名との出会い2

神田 久子 (釋誠満) 

下松市潮音町4丁目13─29

 去る平成13年5月15日、16日、浄蓮寺門信徒会の本山聞法旅行に22名の方と私ども夫婦も同行させていただきました。その旅の目的の一つでもある帰敬式に参加できましたことを心から感謝しております。

 当日、本山の大広間の式場では、緊張の中にも厳粛な気持で、「三帰依文」(南無帰依仏・南無帰依法・南無帰依僧)を唱え、ご門主さまより法名を授与されました。その上、有りがたいお言葉を戴き荘厳なる感動を新たにしたことが、つい昨日のように思い出されます。

 その三年後、最愛の夫は他界しましたが、生前中に仏教徒として二人とも自覚をもって生きる証しの「法名」を賜わったことは、私の人生で生涯忘れることの出来ないありがたい出合となりました。今後は、帰敬式をご縁に仏さまのみ教えを心の依りどころとして、念仏の道を歩んで行きたいと願っております。                         

                                       合掌

 

 大仏の背中

 

 大仏の背中

  〔「住職のデジタルエッセー」2006.04.18 掲載

 昨年いっぱいで、門信徒会館建設工事と見学会が終わり、また今春には、次男も京都の大学へ旅立って行き、ようやく、気持ちにもゆとりが生まれて来ました。

 思えば、住職に就任し、子どもが生まれ、本堂・境内・内陣・会館と改修・普請工事が相次ぎ、こころ安らぐ暇もありませんでした。がむしゃらに走り続けた20数年でした。

 これからは、ちょっと落ち着いて、思索でもしようと、学生以来遠ざかっていた「哲学書」を読み始めています。元来、自分は人と接すること、社会的活動をすることが苦手で、出来ることなら、それらは最小限に留めたいと思って来たのですが、住職という立場上、そんなことが許される筈もなく、だから、無理した面が多々ありました。だが、大きな事業を一応、成し遂げた今、自分に正直に生きることも許されるだろうと、思索への道を再び歩み始めています。

 何故、坊主のくせに、「宗教書」や「仏教書」ではなく、「哲学書」なのか?もち論、「宗教書」や「仏教書」が嫌いな訳ではありませんが、宗教は、実践を伴うものです。現実世界にはたらいてこそ宗教なのです。「宗教書」や「仏教書」を読むと、唯の思索ではすまされなくなります。それをどう実現するか、どう実践するかに踏み込んで行かなければなりません。そして、そうした内面の呼び声とは裏腹に、それを実現することの難しさ。特に、世俗化の進む現代社会では、宗教、 とりわけ仏教の実践は、多くの困難を伴うと言わざるをえません。

 今春、次男が高校から大学に進学する前、しばらく、休みがありましたので、一緒に旅行をしました。もう長いこと東京へ行ったことがなく、六本木ヒルズや、お台場、汐留など現代社会の最先端を行く、IT通信、放送施設を見たかったので、都心部を中心に観光をしました。

 息子は、若いのに、余り都市空間には興味なく〔私はワクワク・ドキドキしたのですが〕、古都・鎌倉に行きたい〔古風!〕というので、妹や姪と一緒に、一日は鎌倉へと足を運びました。

 鎌倉と言えば、大仏さま。私は高校生の時、訪れて以来、40年ぶりです。学生の時は、団体旅行だったので気づきませんでしたが、鎌倉の大仏さまは、周囲が鬱蒼とした森で囲まれているのです。入り口に近づくまで、その中に大仏さまがあると気づきません。御堂の中ではなく、屋外にありますので、観光資源として外部から見られたらまずいと言うの がその理由かも知れませんが、そこまでしなくても良いのでは、という思いがしました。

大仏は宗教施設なのか?観光施設なのか?本来、衆生を済度するはずの仏さまが、外部からは見えない柵の中に入れられ見世物となっている。これが仏教の現実の姿か。「大仏さま、そこにじっと座っておられず、もっと世のため、人のために 動かれたらどうなのですか?」と思わず叫び出したくなりました。

 しかし、人のことは言えません。仏の慈悲や、衆生済度を言いながら、実際には自分も何も出来ず、また、自分の性に合わないと決め込んで、遠ざかろうと さえしているのです。

 大仏さまに手を合わせ、失礼なことを考えましたと謝り、裏手に回りました。後ろ姿の大仏さまは、前から見た威厳ある姿とは違い、屈託がなく、日向ぼっこでもされているような 伸びやかさと、親しみやすさを感じました。このように、自分も、のんびりと、世の中から超絶して、思索しながら過ごせたら良いだろうな〜、と 思わず、本音のようなものが出て来ました。

 思索か行動か?揺れ動く中に、既に仏の手から逃れられない自分の姿がありました。