南無阿弥陀仏

 「人間に生まれることは五戒をたもった功徳によるのであり、まことにまれなことです。しかし、人生は短くはかないもので、たとえ栄華をほこっても、盛者必衰会者定離のならいで久しく続くものではなく、しかも老少不定なのですから、人の世はあてにはなりません。ですから、私たちは他力の信心を得て、浄土往生を願うべきなのです。」(御文章‐易往無人の章)

 人間に生まれることを仏教では、「まれなこと」とは言うが、「めでたい」とは言わない。たしかに、なんで生まれたのであろうかと人生を恨むときもあるが、しかし一方で、本当に生まれてきて良かったと思えるときもある。人生をそんなにはかなみ、ただちに浄土往生などと言わなくてもいいのではないか?

 けれども仏教は人間の本質を、根元から迷いと説いている。「どんなに栄華をほこり、どんなにすばらしい生活を送っても、人生は所詮、迷いである」とは、歳と共に心にひびいてくる言葉である。

 仏法に遇い、仏になる道を歩まねば、人間世界に生まれた意味は無い。むなしい人生を送り、そしてまた、再び六道輪廻をくり返す他はないのである。