南無阿弥陀仏

 ふつう、私たち(現代の日本人)は、人生は誕生から死までの間であり、生前も死後も無の世界であると考える。

 しかしながら仏教は違う。「さあ帰ろう、迷いの世界にとどまるべきではない。はかり知れない昔からさまざまな迷いの世界を生まれ変わり死に変わりし続けてきた。どこにも何の楽しみもなく、ただ嘆き悲しみの声ばかりである。この一生を終えた後には、さとりの浄土へ往こう」(定善義) 

 即ち生をこの世で完結するものとは考えない。人生は迷いの世界(六道=地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)の一部である。「どこにも何の楽しみもなく、ただ嘆き悲しみの声ばかりである。」とはまた極端な言い方であるが、生はただ、誕生から死まででは捉えきれない長さと深さをもったものであるという輪廻転生説には首肯できるであろう。

 親鸞さまの誕生前からこんなことを言うのはなんだが、人の世に生を受けることは、本当にめでたいことか?