「三途の川」 ~浄土の沙汰は信心次第~十王図の中の懸衣翁

 ただ今、拝読しました『御文章』は「電光朝露(でんこうちょろ)の章」と呼ばれるものです。
「人生は、電光(稲光)のように瞬時であり、朝露(あさつゆ)のようにはかない。気づいた時には、もう死出の山路を越えて、三途の川の前に佇んでいる。しかも、そこをたった一人で渡って行かねばならない。」と説かれます。
日頃は、そんなことは思いもしませんが、身近な人に先立たれてみると、そのことを実感します。

 「三途の川」は、別名「三瀬川」(みつせかわ)とも、葬頭川(そうずか)とも言われます。この川を渡るのに三つの途(みち)があるから、「三途の川」と 呼ばれます。一つは、普通の橋です。二つは、浅く流れの緩やかなところ。三つめは、深く、流れの急なところです。

 川の手前に、衣領樹(えりょうじゅ)という木が立っています。そこに奪衣婆(だつえば)という婆さん
と、懸衣翁(けんねおう)という爺さんがいます。奪衣婆が死者から衣類を剥ぎ取り、それを懸衣翁
が受け取って、衣領樹に掛けます。すると、その衣服の重みで、木の枝が垂れ下がる。その垂れ下がり方によって、三通りの渡り方が決まるのです。

 欲の深い者ほど、衣服も重く、垂れ下がり方がひどいので、深く流れの急なところを渡らなければなりません。反対に、欲の少ない者は、衣服が軽く、ほとんど枝は垂れ下がらないので、それによって、橋を悠々と渡って行けるのです。「地獄の沙汰も金次第」と言いますが、それは、ここでは通用しません。

この「三途の川」が意味するものは何でしょう。三途の川を渡るには、これまでの人生で通用してきた地位や名誉は意味を持ちません。家族や財産ですら、役には立ちません。「三途の川」は、我々に、価値観の転換を迫っているのです。
「電光朝露の章」には、「ただたのむべきは弥陀如来なり。信心決定してまゐるべきは安養の浄土なり」(ただ頼りとなるのは阿弥陀仏です。信心いただいて、参るべきところはお浄土です。)とあります。

またたく間の人生が終わって、三途の川の前に佇むとき、川向こうはただ茫洋たる 暗黒の世界が広がっているというのは、いかにも虚しいことです。
長州の妙好人・六連島のお軽さんは、若い時、夫の浮気に悩み、夫を責め立てま したが、それが、自分の男勝りの勝気さから出たものであることを知った時、お念仏の道に入りました。後には夫婦連れ立ってのお寺まいりをされました、56歳という生涯でありましたが、「亡き後に、かるを訪ぬる人あらば、弥陀の浄土にいたと答えよ」という遺書を残して旅立っておられます。ここには、何の暗さも、後悔もありません。ただ死ぬのではない、浄土へと生まれゆく人生を私たちも送りたいものです。

 

 

 「親孝行」の仕方親孝行

 お寺のホームページを開設していますと、時々、投書のメールをいただきます。
先日は、三十代の女性から投書がありました。
「 父が、昨年末急死しました。 通夜の際、住職さまより、亡くなった方はすぐに阿弥陀如来がお救い下さり、仏に成るのだと、有り難い教えを頂きました。なのに、不安なのです。
父は多くの方から慕われていましたが、娘の私は、親孝行しきれなかったとずっと悔やんでいます。
私の苦しみはこの際どうでも良いとして、父は今、お浄土におりますでしょうか?そこで、懐かしい方々と楽しんでいるでしょうか?今、私が父に出来ることは何でしょうか?何も知らない私です。どうかお教えを頂きけたらと思います。」

 この方は、お父さんが、既に、お浄土に生まれられて、仏に成られておられると、聞かされ、ほっとされておられる反面、本当にそうなのだろうか?と一抹の不安も抱かれておられます。
ここで私たちが、考えなければならないのは、死と死生観(死に対する考え方・受け止め方)は別のものであるということです。
死は厳然たる事実ですが、死生観は、個々人が形成してゆく人生観です。
かつては、家族の間でも、地域社会の中でも、だいたい死生観は共通したものでした。“人は亡くなったら、みなお浄土へ生まれ、仏さまに成る”のだと。
でも、今は、家族の間でも、生活習慣や教育が違うので、死生観はマチマチです。

お浄土に生まれ、仏と成られたという実感がないままに、形式的なお葬式をする。だから「葬式無用論」が言われてくるのです。

 先のメールで、娘さんは「父はお浄土に生まれているだろうか?」と他人事として聞いておられますが、「それじゃあ、自分はどうなのだろう?自分は、父と同じお浄土に生まれるのだろうか?」と自分の問題として、聞く必要があるのです。

 親しい人の死をきっかけとして、お経を読み、お念仏する生活を送りましょう。そして、自分自身の死生観を養い、育てましょう。亡き人のためと思ってすることが、いつかは、自分のためであったと知らされる時が来ます。共にお浄土に生まれて、仏と成らせてもらうことの喜びと安らぎを生きているうちに得たいものです。

  「父母も はらからも(い)ます 彼の国に われも行くなり 遠からずして
                                                            甲斐和里子
 親子 兄弟 夫婦がひとつ心で歩める人生でありたいものです。

 

 

父を思う 
      
  徳山市(現周南市)出身の童謡作家・まど みちおさんの歌に「ぞうさん」というのがあります。
  「ぞうさん ぞうさん おはなが ながいのね そうよ かあさんも ながいのよ」
  鼻が長いのは、母さんだけではないはずですが、父さんも歌われているのでしょうか? 
  「ぞうさん ぞうさん だあれが すきなの あのね かあさんが すきなのよ」
 この歌は二番までしかありません。お父さんはどこにも登場しません。可哀そう。「ぞうさん」という歌ですが、実は、「かあさん」を歌ったうた(童謡)なのですね。

 5月の第2日曜日は「母の日」です。母の日には、カーネーションを贈ります。今ではいろいろな色のカーネーションがありますが、正式には「赤」のカーネーションです。亡くなっている母には、「白」のカーネーションを送ります。と言うか、供えます。
「父の日」はいつか知っていますか?6月の第3日曜日です。父の日には何を贈るのでしょう? ネクタイ? 実は、バラを贈るのだそうです。でも、そんなことは誰も知りませんし、日本ではそんな習慣はありません。
「母の日」は、アメリカで1914に「国民の祝日」として制定されたのですが、「父の日」は、それから遅れること20年目にしてようやく、「母の日」があって「父の日」がないのは不公平だということで、定められたそうです。

 母に比べると、父親は影が薄いと思いませんか? 本当に、目立ちませんね。
子が親に求めるものは、先ずは、「愛情」でしょう。だとすると、父親は断然、不利です。父親は、母のようにベタベタしません。シャイで、クールです。別に、愛情がない訳ではないのですが、それがストレートには出ないのです。
でも考えてみると、父親に対して子が求めるものは、母親とは違ったものであるはずです。
あるお寺の伝道掲示板に、「父いますときは 行いを見 父いまさずば 志を見る」というのがありました。父親は、子からは、生き方・生き様を見られているのです。 なかなか厳しいものです…。そんな厳しい要求の中を、けなげに生きて行く、また生きて来た父。その「けなげさ」にもっと気づきたいものです。

 「この道を かくあゆみつつ 来よがしと 残ししあとの 深さ大きさ
                                                  甲斐和里子さんのうたです。


 

 

平成21年年頭挨拶平成21年元旦法語

今年は何と言っても、世界同時不況の嵐の中で、新年を迎えることになりました。僅か半年足らずで、想像もしなかったような経済不安が、世界中を覆っています。バブルを経験した日本は、その中でも、比較的ダメージは少ないと言われていますが、それでも、トヨタやソニーと言った世界的な企業が、大規模な生産調整やリストラを迫られています。その深刻さは決して他人ごとではありません。
今後、日本の経済や社会がどのようになるか、私のような者には予測は出来ませんが、歴史の大きな転換点に皆が立たされると言うことは確かでしょう。
仏教では、「諸行無常」と言いますが、全ての事象は絶えず変化して止みません。何事も永遠に同じ状態であることは出来ません。経済も、絶えず浮き沈みを繰り替えしているものです。今しばらくは、厳しい忍耐の時を過ごさなければなりませんが、それとて永遠に続く訳ではありません。厳しい寒さの冬の後には、やがて温かい春が訪れるでしょう。それを思いつつ、今年一年も、強く明るく生き抜いて行きたいと思います。
ところで、これはプライベートなことですが、今年、私は還暦を迎えます。歳をとったな~と思う一方、よくここまで、生きて来られたな~という感慨深さもあります。この還暦を前に、昨年亡くなった友がいます。
私は今、年賀状を書くのではなく、専らプリンターで印刷しています。宛名・住所もパソコンの中に入力されているので、そこから出してきて印刷します。この宛先を印刷する時は、さすがにパソコンまかせにはせず、全てチエックします。ただ、その年亡くなった人については、住所録から削除をしなければなりません。さすがにその友達の名前を名簿から削除するのには抵抗があり、ただ「印刷なし」の設定に止めました。
そう言えば、川柳に「寂びしくて喪中はがきに返事出す」というのがありました。まさに、いつもの通りに賀状を送り続けたいような心境でした。人間はいつか、このように、それぞれの名簿から抹消されてゆく存在なのですが、せめて心の片隅には、止めていてほしいなと思います。
今年の正月の浄蓮寺門前の掲示板には、「朝は希望に起き 昼は努力に生き 夜は感謝に眠る」という言葉を掲示しました。自然も社会も人間もみな、諸行無常です。明日をも知れぬ身です。だからこそ、一日一日を精一杯生きて行きたいものです。どうぞ、
この言葉を今年一年の座右の銘にしていただけたらと思います。