「三途の川」 ~浄土の沙汰は信心次第~ ただ今、拝読しました『御文章』は「電光朝露(でんこうちょろ)の章」と呼ばれるものです。 「三途の川」は、別名「三瀬川」(みつせかわ)とも、葬頭川(そうずか)とも言われます。この川を渡るのに三つの途(みち)があるから、「三途の川」と 呼ばれます。一つは、普通の橋です。二つは、浅く流れの緩やかなところ。三つめは、深く、流れの急なところです。 川の手前に、衣領樹(えりょうじゅ)という木が立っています。そこに奪衣婆(だつえば)という婆さん 欲の深い者ほど、衣服も重く、垂れ下がり方がひどいので、深く流れの急なところを渡らなければなりません。反対に、欲の少ない者は、衣服が軽く、ほとんど枝は垂れ下がらないので、それによって、橋を悠々と渡って行けるのです。「地獄の沙汰も金次第」と言いますが、それは、ここでは通用しません。
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「親孝行」の仕方 お寺のホームページを開設していますと、時々、投書のメールをいただきます。 この方は、お父さんが、既に、お浄土に生まれられて、仏に成られておられると、聞かされ、ほっとされておられる反面、本当にそうなのだろうか?と一抹の不安も抱かれておられます。 先のメールで、娘さんは「父はお浄土に生まれているだろうか?」と他人事として聞いておられますが、「それじゃあ、自分はどうなのだろう?自分は、父と同じお浄土に生まれるのだろうか?」と自分の問題として、聞く必要があるのです。 親しい人の死をきっかけとして、お経を読み、お念仏する生活を送りましょう。そして、自分自身の死生観を養い、育てましょう。亡き人のためと思ってすることが、いつかは、自分のためであったと知らされる時が来ます。共にお浄土に生まれて、仏と成らせてもらうことの喜びと安らぎを生きているうちに得たいものです。 「父母も はらからも(い)ます 彼の国に われも行くなり 遠からずして」
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父を思う 5月の第2日曜日は「母の日」です。母の日には、カーネーションを贈ります。今ではいろいろな色のカーネーションがありますが、正式には「赤」のカーネーションです。亡くなっている母には、「白」のカーネーションを送ります。と言うか、供えます。 母に比べると、父親は影が薄いと思いませんか? 本当に、目立ちませんね。 「この道を かくあゆみつつ 来よがしと 残ししあとの 深さ大きさ」
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平成21年年頭挨拶
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